「東北の子どもたちをスイスのキャンプへ!」プロジェクト参加者の東日本大震災記

スイス留学.comの運営会社である【スイス情報.com】が運営している「東北の子どもたちをスイスのキャンプへ!」プロジェクトの2014年サマーキャンプ企画に参加する理子ちゃんの東日本大震災体験記です。

 

当時小学校2年生だった理子ちゃんですが、忘れがたい体験です。

 

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東日本大震災の体験

 

私は小学2年生だった。ちょうど、来週の月曜日の用意や宿題が書いてある黒板をノートに写している時だった。地震が起きて、すごく揺れて先生の指示で机の下に潜った。揺れが長くて怖かったけれど、仲良しの友だちは、揺れながら机の脚を持ちながら、なぜかニコニコ笑って私のことを見ていた。

 

その後、体育館へ全校で移動した。ドキドキしていると、おじいちゃんが迎えに来てくれた。揺れで床に落ちたランドセルは教室に置いたまま車に乗った。次から次へと車がやってきて、学校の駐車場から出られない。ようやく出るとまた渋滞していたので、別の細い道を通って帰った。ブロック塀が倒れて、道をふさいでいた。お母さんの運転する車に乗って、弟の幼稚園へ迎えに行った。私は、津波が来るとは思っていなかったので、どうしてこのまま帰らないのかなと思っていた。夜は寒かったけれど、いつもより星がいっぱいでキレイな夜だった。車の中で寝た。

 

避難所で過ごし、4日目にお父さんが帰って来て、アメをくれた。すごくおいしく感じた。お父さんが帰って来て嬉しかった。

 

何日か避難所にいて、そのあと、おじいちゃんの家に親戚などが集まって10人で生活した。水も電気もないので、給水車に水をくみに行ったり、朝日が出ると起きて、太陽が沈むと布団に入った。電気が通った高台に住んでいる友だちのおばあちゃんが、毎日ご飯を作ってくれた。私と弟は食物アレルギーがあるので、私たちが食べられる物を、家族の分まで用意してくれた。強い余震が何回もあってずっとラジオをかけていた。

 

一ヶ月がたって、ようやく水道から水が出て、電気がついた。普通の生活ができるようになって、嬉しくて家族で歌って踊った。

 

学校が始まってたくさん支援物資をもらった。日本だけでなく、外国からも届いた。私は転校したが、中学校に間借りしているので、遊具がない。私たちが最後の卒業生になる。石巻で一番古い小学校だけど、被災して人数も減って統合する事になったからだ。ひいおばあちゃんやおじいちゃん、おばあちゃんが通っていた歴史ある小学校だった。だからなくなると聞いた時は、悲しかった。先日も最後の運動会があった。6年生として、最後の生徒として、これからの行事一つひとつを、素晴らしい締めくくりができるように一生懸命取り組みたいと思っている。

 

2014年6月 宮城県石巻市
酒井理子

 

20140614_震災体験・理子
※「東北の子どもたちをスイスのキャンプへ!」プロジェクトは、日本・スイス国交樹立150周年記念事業として、在スイス日本国大使館の後援を受けています。

 

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